あれから2年経た3・11、古猫は何か考える?

       黙祷の図、ではなくて、ただ戸を開けてくれ、と
       待っているだけ、所詮猫です
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        湯島聖堂の梅、3・11にも未だちらほら
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3月12日(火)     晴      20度位
3・11が来ると、あの日あの時間(11時46分)、ミミは何をしていた
のか、を考える。
011年3月11日の日記に猫の行動について何か書き留めていたか、
頁を繰ってみたがミミのことは書いてない。
店から人間の生活用品が消えてゆくので、明くる12日にミミの餌が
心配になり買いに出かけたことが記してある。
揺れた時に、ミミは寝ている「暖房ーる」箱からすぐには出てこな
かった。停電のため暖房用のあんかが冷たくなった頃に箱から
出てきた。
普段ならば、寝床から出てくると、膝上に乗せろとうるさいミミが
この時はとても静かにしていたように記憶する。私たち人間の話方
や行動に異様さを感じたのだろう、と後で家内と話した覚えがある。
猫の地震予知能力についても、ミミの行動を事後に家内と一緒に
振り返ったが、予知していた動きは何もなかったと結論付けた。
ネズミが沈む船や火事の家から一瞬早く逃げ出す、という能力に
及ばないようだ。(このことは、何時かのブログに書いたような気が
するが、もう一度記しておく)
3,4日前から、日中の気温が20度前後へ上がってきたので、
ミミも行動が少し活発になり、毎夜、戸外へ出て、下界の視察へ
行く。夜の梅見のためか、テリトリーの確認か分からないが、
階段(19cmX15段=2m85cm)をいそいそと降りて十分程度の
散歩の後上ってくる。22歳(110歳)の猫の体力では大変な負担
だと思うが嬉しそうに見える。
来年の3・11に、ミミがまだ生きておれば、また同じことを書きそう
な気がする。
昨夕、むかしの仲間と霞が関ビルの一室で小宴を持った。
行きがけに国会議事堂が見える辻を横切る。
3.11の復興について、あの場所でいろんな人が熱弁をふるって
みせたが、未だ瓦礫も片付かないのはなぜなのだろう。夕日を
背景にした国会議事堂は、美しいシルエットだった。

            3・11の夕暮れの国会議事堂
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3月10日(日)にむかし家今松が出演する浦和市民寄席へ出か
けた。1時過ぎに浦和駅西口を出ると、黄砂のような土埃をはら
んだ強い北風が吹き付ける。
前座は古今亭きょう介「たらちね」、余りゆっくりなので、丁寧なのか
練習不足なのか判然としない。リズムがない。
隅田川馬石は「崇徳院」、マクラで「噺を話し抜いて身につけるのが
肝心」と、何やら自戒めいたことを言っていた。そんなマクラで
「崇徳院」へ入ったので、少し拍子抜けした。
今松「らくだ」は、今松らしからぬ力が入った口演だった。
兄弟分のしゃべりに凄みが入り、屑やが3杯目を飲んで、伝法に
変わる部分も前歴を思わせるドスが利いていた。
屑やに、らくだの心の虚ろを語らせるのは、今松の新工夫だった。
オチも今松の工夫、「片腕どころか丸ごと焼かれるところだった」
今松師を入れた打ち上げ会で、「崇徳院」のオチ「割れても後に
払わんとぞ思う」は、もっといいオチに変えられないのかと提案した
ら、江戸噺ならば、ガラスの鏡じゃないから割れないはずだ、という
考証まで出てきた。宿題で終わった。

          3月10日 浦和市民寄席の入り口看板
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       3・11 いかにも何か考えていそうな姿のミミ
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